つらつらと。

気まぐれですが、つらつらと。

立場によって優先順位を決めなければならない辛さ

親が病気であと何日生きられるかわからない場合、少しでも多くの時間をそばで過ごしたいと思う子供の心があったとして、それは感心することなのだろうとは思うけれど、例えばそれが舞台役者さんであれば休んでまで?延期してまで?他の演者さんに迷惑をかけてまで?となるし、会社員であってもやはり会社を休んでまで?となるのかもしれない。でも有給休暇や介護休暇を使う手もある。では小さい子供を持つ母親の場合は?育児を放棄して親の元へ駆けつける?子供はどうするの?もう高齢の旦那さんのお母さんにはるばる遠方から来てもらって世話をお願いする?その間お父さんのご飯や洗濯は?影響範囲が大きいよね。

私はこの場合、自分の役割を全うすることが最優先かと思う。育児に休みはない。家族でなんとかするんならいいけど、他の家庭に支障を来すのは違うと思うな。辛いかもしれないけど。子供たちもかわいそうだしね。

結婚したら自分の家庭を優先させるのが当たり前だと思うのです。旦那さんだけならどうとでもなるけど、子供もがいて誰かの手を借りなければならないんだもの、自分が堪えなきゃ。

 

本を読んで仕事のモチベーションを上げる

1人で仕事をしていると、知らず知らずのうちにモチベーションが下がってきてしまう。やることリストを作っても、特に急ぎでない作業だと身が入らなかったりする。

そういうときは自己啓発本や実用書を読むと、確かに!とか、やってみよう!というようなこと出会えるからまた気持ち新たに頑張ろうと思える。

今日からわくわくさんじにちなんで3時投稿にしてみることに。

ママ友って言葉、便利だよね

ママ友って言葉が好きではなかった。自分が子供を産むまでは。けど実際に出産後は子供がいなかったら知り合っていないだろうって人はたくさんいて、それで出会って友だちになった人たちのことをママ友って呼ぶんだろうなと思いつつ使ったことはない。

じゃあ独身の時に知り合った友だちはなんて呼ぶ?普通に友だちでしょ?会社の同僚とかライブ仲間とかスノボ仲間とか酒仲間とか。ママ友はその並びにあるのか。ママ仲間はちょっと怖いし、じゃあママ友でいいか。ゴロの問題か。

子供が4歳になり、私にも少しずつママ友に分類されるであろう友だちができてきた。産院の育児サークルみたいなところで一緒になった人は子供の月齢が近いのと産んだ病院が同じってので共通の悩みや話題が多くて、まぁ住んでいるところは近くなかったりで保育園に通いだしてからは会うことはなくなったけど、LINEでやりとりして(当時はまだLINEがなくて、それでもメールでやりとりしていくうちにLINEグループまで行き着いた)3歳の時に集まったな。もちろん子供同士は覚えているはずもなく。ただ母親同士が久しぶり〜!◯◯ちゃん大きくなったね〜!ってな感じ。きっと節目節目で連絡は取り合って帰省や旅行で近くに行くよ〜とかなった時に会ったりする関係。

その後は保育園の同じ年齢の子のお母さんたち。小規模だったから顔も覚えやすく迎えの時間帯が同じお母さんで仕事の話が合う人とは仲良くなった。引っ越してからも続いてて主に仕事の話をする。子供同士も仲良くて、私に用事があるときは預かってくれたりもして、とても有難い。夫婦揃って友好的でとてもいい人たち。

それからご近所さん。子供同士が公園で一緒に遊ぶようになり親同士も話すようになり、子供はしょっちゅう家を行き来してるけど、親はなかなかそうもいかず、でも家が近いからバーベキューや鍋をたまにするようになり、その関連でその子の保育園の友だちも加わり、親も加わり、な感じで意気投合したお母さんもいる。

こうして顔見知りが知り合いになり、友だちになり、相談相手になったりなってもらったりするんだね。まだ4歳なわけだから最長4年なわけで、小学校、中学校、高校となってくるとどんどん長くなり増えていくのか。けど、小学生以降に知り合ったらママ友とは呼ばない気がするね。どうなんだろう。

ドラマでよくママ友の派閥とかいじめとかやってるけど、今の所そういうのを見かけたことはない。幼稚園はまた違う感じなんだろうか。朝の送りも急ぐ必要がなく毎日長々立ち話。迎えはまだまだ昼下がり。のんびりおしゃべり。そのうちいらない話までしてお互いのこと知りすぎてやりにくくなったりしてね。

とりあえず独身の時会社勤めしてる時に仲の良かった友だちに説明するときはママ友って言葉が一番わかりやすいのでした。私自身に抵抗があったのかもしれないな。会社辞めて結婚して子供産んで、会社で仲良かった友だちの知らない世界が構築されていき、新しい友だちができて「ママ友できた」とか報告することに。

もう辞めて11年経つのか。勤めてたのは11年半。年月の経過って振り返ってみると面白いし不思議。

こんな私にも子供ができて、ママ友ができて。考えてもなかったな。想像はしても現実味は全くなかった。

ママやってるんだもんね。ママ同士の友だち、必要だよね。必然的にできるよね。バリバリ働いてお母さんになった人も、大学卒業して何年かですぐお母さんになった人も、同じお母さん。子供のために頑張る。そこを共感しあえるの、ママ友。大切にしましょ。

 

理想の自分を意識する。とてもシンプルなこと。

ガサガサせず、丁寧に。

せかせかせず、テキパキと。

イライラしても、深呼吸してニコリ。

 

こんな記事を書いた後も、なかなか実行するのは容易ではなく。↓

「ガサガサ」「せかせか」から「テキパキ」への移行。「イライラ」は「深呼吸からのニコッ」へ。 - つらつらと。

 

丁寧にやっていると時間がかかるから、つい雑になってしまったりする。時間かかったらダメなの?んーーできるだけ早くやりたいの。その後もいろいろとやることがあるから。そのやることって今やらなきゃいけないの?うん、ご飯食べさせなきゃいけないでしょ?とか、早く寝かせなきゃいけないでしょ?とか、いろいろあるわけだけど。

じゃあ、今やってること、別の時間にできなかったの?あまり早朝から音のする作業をしてるとせっかく寝ている人を起こしてしまうでしょ?とか、結局は時間が足りないって話なんだよね。

じゃあ、時短、効率、工夫しつつも賢く手抜きしなきゃならないわけです。

でも、周りからあの人いつもガサガサせかせかイライラしてるなんて言われたくない!だからスマートに、気持ち良くさわやかにテキパキ行動したいのです。とにかく周りをイライラビクビクオドオドさせたくないし不快にもさせたくない。

だから、自分の浪費時間はできるだけカットして、いつも撮影されているくらいの意識で姿勢良くピシッとかっこよく生きたいのです。

なーんて、誰も見てないよ、誰も期待してないよ、ってことかもしれないけど、自分自身の問題。リスペクトはHIDEです。今日で52歳。おめでとう!

わくわく3時のおやつは何にしようかな。みかんかな。

 

プライドが邪魔をして何もできない人になるなんて

プライドって時に必要だったりするし、プライドが無さすぎるのもどうかと思うけれど、プライドが高すぎて「この仕事はいや」「この作業は無理」とか言うのはどうかと思う。テレビを見て政治家や自治体のやることに文句たらたら言う前に自分はどうなの?と思う。

 

仕事はなんぼでもあるよ。単純で簡単な作業ほどそれなくしては機能しないものだってたくさんあるよ。それに誇りを持てるかどうかは自分次第だし「やりたいことが見つからない」とかいう前にいろんな経験をしてみたらいいんじゃないかと思う。

 

高望みして、なんでも出来ると言って、過大評価されたらどうなるか。出来ないこと自信のないことが山積みになって息ができなくなって、自分が潰れてしまう。勉強したり、下積みという経験をしたり、そういう努力をしてひとつひとつを乗り越えて身にしていける強さがあれば全然いいけど、口だけの人になってしまったら途端に信用を失うし何も任せてもらえなくなる。

 

それがトラウマになると本当に何をするのも怖くなり、怖気付き、行動できなくなる。

 

プライドを捨てて(と言っても元々高いから少し下げるだけでもいい)開き直って、素直に相手の言うことを受け入れてやってみよう、という気持ちになれるかどうか。なれたら次はそれを実行に移す。

 

早くしないとどんどん固まっていくと思うな。

 

スマホという時代の流れに乗るのはいいけど、飲まれたり流されてはいけない。

家に帰ってPCでネットサーフィン、くらいなら可愛いものだった。今はツールがスマホに変わり、サイト閲覧だけでなく、SNS、ネット(ウィンドウ)ショッピングもあたりまえとなった。

 

これらによる時間の浪費はどれほどのものだろう。これらが人から奪うものってとてつもなく大きいと思う。

 

読書の時間、勉強の時間などの1人時間のみならず、家族の会話の時間、子供と遊ぶ時間までをも奪っている。確実に。

 

我が家を例に挙げてみてもじゃんじゃん出てくる。家族で同じ部屋にいても夫はスマホいじってて喋らない、私もSNSやメールによる連絡のチェックや取り急ぎの返信などは子供を待たせてやってしまっている。まぁこれくらいは用事の範疇だから仕方ないと割り切ってやっている(本当は子供の前でスマホを触ることにすら抵抗がある)。天気予報のチェックや地図の確認などもスマホで行う。以前ならテレビや資料だった。子供も横から何々?と興味を持てば一緒に見られる環境だった。

 

今はなんでもスマホでできてしまう時代。スマホの画面に何が映し出されていて、何をしているのかなんて覗きこんでみないとわからない。

 

もしかしたらニュースを読んでいるのかもしれないし、レシピを見ているのかもしれないし、辞書で調べ物をしているのかもしれないし、消耗品を買っているのかもしれない。ここまでは私の中では生活に必要なこと。手段がスマホになっただけで、時代の流れに乗っているだけ。

 

ここからが私が考える時間の浪費。SNSやブログの他人の投稿を読んでいるのかもしれないし、SNSで今この瞬間も発信しているのかもしれないし、ゲームをしているかもしれないし、漫画を読んでいるかもしれない。今やる必要ある?ってことばかり。そしてこれらを目の前でやられると不愉快。少なくとも私は1人時間でしかやらない。

 

どうしようもなく怒り満タンになる瞬間があって、私が家事や育児で忙しくしているのを尻目に夫がスマホでゲームをしているとき。あなた子供ですか?愛も冷める瞬間です、はっきり言って。母性しか出てこないでしょ。口うるさく言いたくないけど、こんな夫を尊敬できる?子供に示しがつく?本当に自分勝手。自分本位。妻に失礼!

 

依存しちゃだめ。スマホに。時代の流れで今はほとんどの人がスマホを持っている。これを文字通りスマートに使えている人って少ないよね。

 

いずれ子供もスマホを持つことになるだろう。きっちりルールを決めて、有効に使って欲しいと切に願うし、ここは親次第だとも思う。いつでも片手にはスマホ、時間あらばスマホを見てる、って親を見て育つと必然的に子もそうなると思う。そこまで夫は考えてくれていない。言っても行動が改まらない。私はもう諦めている。

 

だから私が頑張る。

 

時代の流れに飲み込まれ貴重な時間を無駄にしないように、時代の流れに流されて犯罪に巻き込まれないように。きちんと教育、指導するのは親の役目である。

 

反面、だからといってスマホ音痴でも困るので、使い分け。うまく使いこなせるようになってほしい。そのために私も勉強しよう。

 

初期のガンだとしても手術をしないという選択

腫瘍が見つかり悪性の可能性が9割、恐らく初期のガンだと聞き、初期で良かった、1日でも早く手術をして良くなろう、と考えた私が単純だった。

 

ガンと闘っている人と直接の交流を持ったことがないから治療の辛さも知らず、手術せずに放置した場合の様々な可能性についても知識が薄い。

 

本人が手術を受けたくないと言っているのであれば、それを尊重すべきなのか。本人の年齢や立場にもよるのだろうか。

 

絶対に手術すべき!と強く思った当初の気持ちがしぼみつつある。

 

実家の父の話です。