深呼吸して前を向いて、時に上を向いて
自分の努力ではどうにもならないこともある。
相手を変えようと思ってもそう簡単には変えられない。
なら、自分が変わるしかない!と頭を切り替えて、考え方を切り替えて、ただただ努力する。
けど、やっぱりどうにもならないこともある。
諦める?許容する?妥協する?無関心になる?
そんな大層な理想なんてない。ただ笑って楽しく暮らせたらそれでいい。それだけなのにね。
笑えない、楽しめない、それがうつ病なんだって、頭ではわかっているけれど、やっぱりなんで?って思ってしまう。どうすれば治るの?医者に、薬に、頼っていては闇からは抜けられないの?
辛い。辛いけど、一番辛いのは当人である夫だ。
考えたって仕方がない。私が考え方を変えてあげることはできない。自身で抜け出してくれるのを待つしかない。
せめて私だけは、息苦しくなったら深呼吸をし、振り返らずに前を向き、下を向かずに空を見上げる。
いつか、いつか、明るい日が来ることを信じて。
なんて、きれいごとなのかな。
落ち着かないけど落ち着こう
とりあえず落ち着こう
生活が全然落ち着かない
結婚してからというもの、3年と同じ住居で暮らしていない。引っ越しばかり。現住居に永住するのかも既に微妙。
おかげで仕事も変えざるをえなかったり。
落ち着かない。
こどもに伝わってしまうからそれはいけない。落ち着こう。
どっしり構えて着実に進もう。
例え茨の道でも。
連載という考え方
連載か、なるほど。
エッセイが好きな私。
ちょっと考えればわかることだけれど、ブログもそういう感じだ。
著名人のブログを読むのも好き。
その人の素を少しでも見ることができる気がして。
自分にも発信欲がある。
けれど一貫性がない。
ここはひとつ、内容に一貫性を持たせるのではなく、書き方に一貫性を持たせてみてはどうだろう。
もちろん自分にはファンなんていない。
けれど、例えば自分の親、自分の夫、自分の子供、自分の親友なんかは、書けば読んでくれる存在。何かをすれば応援してくれる存在。
このブログは、頭の中だけでは消化しきれないことがあったときに、つらつらと書くことで頭を整理したり自己解決したりするのに役立っている自己満足型ブログ。
もちろん、似たような状況下にいる人が読んでくれて、何かの参考や閃きになればとても嬉しい。
まさにエッセイってこんな感じ?なんて。
自己解決の自己満足な記事でした。
ごめんなさい。
感謝いっぱいの1日。家族より友人?
自分の用事のため、娘を友人宅に預かってもらった。急遽決まったため頼めるか聞いたのは前日。引越し前の地で保育園が同じだったお母さんで、子供同士も仲良く遊べると喜ぶからいい計画だ!と快諾してくれた友人に感謝。
朝から夕方までたっぷり遊ばせてくれた。私も用事を済ませた後、1人時間満喫コースをプレゼントしてもらい有意義な休日を過ごせた。
夫は家にいたが1人で子供の相手をするのがしんどいと感じる人なので、前後の週末が予定続きの私としては気を遣ってのことだったのだが、帰って1日のことを話すと怪訝な顔をして難色を示された。子供を誰かに預ける、子供が誰かの家にお邪魔する、そんなことがある度にそんな態度を示す。相手に迷惑をかける行為だからか?自分ならそんなのしんどいからか?それとも保護責任の問題か?心配なのか?
理由を言わないから何を考えているのか何を思っているのかわからない。イヤなら自ら率先して子供の相手を買って出てくれたらいいのではないのか?それとも母親である私には四六時中子供と過ごす義務があり個人的な理由で離れてはいけないのか?
とにかく子育ては周りとの協力で成り立つものと私は思っているので、持ちつ持たれつ。困ったときはお互い様!の精神でいきたいのが。本当に気難しくやりにくい夫で、母子がそれぞれにら楽しかった1日を楽しく報告したのに、楽しくなくなってしまったのでした。
結婚してからというもの、夫の一風変わった性格により、私自身の考え方がおかしいのか?と自信を無くすことが多かったが、様々な友人知人と話すと、やはり私はおかしくない、むしろ常識的だと自信を取り戻す。そんなことの繰り返しである。けれど一緒に生活をしているから過ごす時間の多さは家族。だんだん変わった方へ、行きたくない方へ行ってまうことになるのだろうか。なりたくない自分に変わっていってしむうのだろうか。
そういう悩みが今はある。人は人、自分は自分。それでいいけど、それでも一緒にいる意味とは?今の私のテーマです。
ニーチェの言葉を買いました。+習慣の話。
前から欲しかったのですが、大きな本だときっと本棚に立てたままであまり読まないだろうと買っていなかったのです。書店で文庫版を偶然見かけ、わ!と思い購入してきました。
自分を見つめ直したり、人生について考えたり、幸せとはなんだろうと悩んだり、友達とうまくいっていなかったり、恋愛のことで悩んでいたら、これからどうやって生きていこうか、自分は何がしたいんだ、などと思い悩み日々鬱々と暮らしていたり、はたまた普段はそんなことないけどちょっと立ち止まってみたくなったり、そういうときにニーチェの言葉に救われたりします。
己について、喜について、生について、心について、友について、世について、人について、愛について、知について、美について。
生きていく上で自分なりの指針、軸みたいなものが少しずつでも見えてくるといいですね。
全部で190の言葉が詰められています。1日1ページずつ毎日読んでいけたらいいなと思います。1年で2周。ずっとずっとぐるぐると。
早朝のジョギングを始めて2週間になります。習慣化はされましたね。4:57に目覚めることが多いです。朝布団の中でダラダラとSNSを見るという習慣を止めることができました。
習慣の断捨離ですね。この本のおかげです。
時間を浪費してしまう習慣って、貴重な時間をどんどん食ってしまいます。やっていること自体は悪いことではなくても、時間の浪費は積み重なると膨大な時間となります。1日1時間もSNSしてたら、1年で365時間です。本が何冊読めますか?って思います。読書よりも自分のためになることならいいですけどね。
ピアノの練習も1日10分は最低でもするようにしています。1週間に一度1時間の練習をするよりも1日10分の方が上達します。たまにもっと長い時間とるのはもちろんokです。習慣になると無意識にできるんですよね。ちょっとした隙間時間に弾く。
隙間時間を舐めてはいけません。子供のトイレについて行って待っている時間、片足に体重かけて歪んだ姿勢でだるそうに待っているより、ピシッと立って直立でできるヨガをする。筋トレ(スロトレ)をする。これも有効ですよ。
食生活的には、お昼にマクドナルドでたくさん食べ、夜はお酒をやや多めに飲んだので、アウト!な1日でした。
ジョギング始めて2週間、ようやく
体重計壊れたんじゃない?ってほど同じ数字を告げられていたけど、ようやく、ようやく、お腹が少しへこんできた。体重も0.5kgほど減って維持。
いい感じ。このまま続けよ。
雨の日をウォーキングにしているのも続けられてる理由。
あとは無理をしないこと。気分が乗らなければ止めるとか、距離を短くするとか。
どこまで減量できるかな。